称名寺 池泉舟遊式  鎌倉時代
神奈川県横浜市金沢区金沢町212-1 
沿革
  この庭は1323年に描かれた境内結界絵図とほとんど同じそうだ。そのころの庭園は極楽浄土をこの世に再現している。頼朝は奥州の藤原三代の文化施設を見て衝撃を受けた。この地に、それに引けを取らない極楽浄土の世界を再現した。
庭園
  中世における雄大な庭園様式が首都圏にそのまま残っている事は貴重な事である。一般的には「庭園と言えば壁があり、その前に石がゴロゴロ重なって、その周りに苔が生えている」と言った様子が思い起こされる。しかしここの様子はそれとは異なり、広大な池は美しく曲線を描いていて、汀には州浜をあらわす栗石や白砂があり、突出した岬には荒磯をあらわす石が点々と配置されていた。天然の海岸の景色を再現していたのだ。後世の庭のように石組みと言うよりは海岸線の美しさを再現しているのだ。将に日本庭園のバイブルとも言うべき「作庭記」の世界だ。またこの庭を特徴付けているのは、大きく孤を描いた反橋である。この世から極楽への結界を表している。
参考
  このような庭園は数少ないが、毛越寺(平泉)、平等院 、法金剛院浄瑠璃寺大沢池旧大乗院円成寺、白水阿弥陀堂(いわき市)である。なお、鎌倉の瑞泉寺への道に永福寺(ようふくじ)の旧跡がある。ここは頼朝が平泉の二階大堂大長寿院を倣って1192年建設した。現在埋め戻されているが、復元した様子を見たいものだ。
横浜市へのお願い
  上記のごとく稀な庭園が平橋は朽ち、汀の栗石はほとんど雑草で隠れてしまっている。文化財の維持管理にはお金のかかることである。形あるものは朽ちるものである、それを認識して復元して欲しい。首都圏にある貴重な文化遺産として末永く美しくあれ。

▲仁王門を入ると反橋、平橋、金堂と一直線に連なっている。但し平橋は現在老朽化により撤去

▲雄大な反橋が優美な曲線を描いている(現在工事中 2005/3/25)

▲平橋の礎石と汀の様子(金堂側から仁王門側を撮影)

▲須弥山 極楽浄土の庭であることことから、この石は須弥山を象っていることになる。これとほとんど同じ形で池中に配置されている庭が毛越寺(平泉)である。なお、詳しくは須弥山参照

▲須弥山と滝口跡  このような組み合わせは京都の大沢池にある

▲日本庭園のバイブルとも言うべき「作庭記」には次のようにある
 「州浜形は、普通の州浜の様にするのである。但しあまりきちんと紺の紋などの様になるのはよろしくない。同じ洲浜形であるけれども、或いはひきのばしたように、或はゆがめたように、或いは背中合わせにうちちがえた様に、或いは洲浜の形かと見えるけれども、やはりそうではない様に見えなければならない。これに砂を散らした上に、小松などを少々植えるが良い。」
  このように作庭記を忠実に守っている美意識の庭が草に覆われてしまって非常に残念である。横浜市は早急に毛越寺のように管理して欲しい。

▲反橋の基礎周辺(仁王門側)

▲反橋の基礎周辺(金堂側)

▲美しい汀の曲線と栗石による州浜の様子

▲海岸にある景石

▲栗石に覆われた島