嵯峨院跡大沢池  池泉回遊式  平安時代
京都市右京区嵯峨大沢町4  電話:075−871−0071(大覚寺)
  811年嵯峨天皇が山荘を造営。同時に池泉庭を築造したといわれる。その後空海を請じて五大明王の秘法を修した。876年に弘法大師の常住の大覚寺となった。
  庭は約64,600uにも及ぶが、現在庭園らしさが残っているのは池の北部のみ。南部は明治時代になって貯水用に堤防が作られたときに破壊された。この庭のポイントは名古曽の滝と湖に浮かぶ列石である。
  滝は現在見ることが出来る滝で最も古い滝である。古来歌に読まれている。
 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなお聞こえけれ  藤原公任
  平安時代中期ですでに滝が枯れていたことを示している

  列石は夜泊石といわれている石が汀に並んでいる。菊島に近い石組みは庭古石といわれ蓬莱山を意味しているとのこと。しかし私には剣の切っ先のような形は須弥山石に見えてならない。全体構成も中尊寺横にある毛越寺の似ている。広大な池泉、遣水、出島、それに須弥山石。

▲大沢池 中央には弁天島があり、その汀には点々と巨石が並んでいる。橋の付近に三箇所、画面右側に7箇所。

▲上記写真拡大

▲州浜にほぼ等間隔に巨石が並んでいる。通称夜泊石

▲右側の人字形の石組みは庭湖石と呼ばれている。これを対岸側から見るとより須弥山石に見えないだろうか。

▲名古曽の滝  現在見ることが出来る最古の滝(岸辺から70〜80m奥)

▲滝から流れる遣水

▲遣水出口と菊島、庭湖石

▲弁天島の弁天様と御神木  時代劇の撮影に適している

▲弁天島の護摩堂傍らにある鎌倉時代の石仏

▲嵐山に和む