能仁寺 洞窟、龍門瀑、亀頭石、分厚い石橋、沢渡り と揃った庭
埼玉県飯能市飯能1329  電話:042-973-4128
沿革
  当山の開祖は、1501年中山家勝公が名僧斧屋文達師を招いて小庵を開いたのが始まりと言われている。家勝死後は子の家範が本格的な寺にした。その後家康の庇護も受けたが、壇越の黒田直邦が常陸下館城主になってから、堂宇の立替を行っている。直邦は柳沢吉保の幼女を妻としていることから、将軍綱吉の覚えもめでたく、度々将軍が直邦の江戸屋敷を訪れている。しかし1868年の飯野戦争でほとんどを消失したが、昭和9年本堂再建に着手し昭和11年に完成した。

庭園構成
  当庭園が甲斐恵林寺の構成と非常に類似していることが指摘されている。それは甲府城主となった柳沢吉保、吉里親子によって恵林寺の増改築が行われたからである。このときに庭も荘厳の一環として改修されたと考えられる。たとえば、山畔に滝を組み、その傍らに洞窟を作り印象的な構成である。このことは、吉保が六義園の池中に洞窟岩島を作り神仙蓬莱の庭にしたことと同じ考えである。
  当庭園を歴史的な観点から拝観すると一層の興味がわく名園である。
関連庭園:
●恵林寺 ●六義園 ●東光寺

▲ポイントは左隅が亀頭石、分厚い石橋、中央の龍門瀑、洞窟

▲正面から見た庭園。右端の洞窟で不老長寿の仙人になるための仙薬が作られ、深山幽谷の赴き。中央には龍門瀑と思われる鯉魚石がある。上部には蓬莱山を象徴した石がある。

▲滝は鯉魚石の上と下にあり、山畔の絞り水が落ちている

▲滝は直接池に落ちずに、一段高い位置に落ちている。恵林寺と同じ手法。洞窟は奥行きもあり形式的に作られたのではなく、しっかりした構造である。恵林寺、東光寺の洞窟はこの洞窟の影響かか。

▲蓬莱山を背負うと言われる亀島に橋が架かるようになるのは室町時代末期からである、特に秀吉がこの様式を好んだが、分厚い石が採用された。当園は時代は下るが豪快な構成になっている。

▲亀島へ渡る橋の架かる出島にはテラス状の場所があるが、洞窟を眺める場所であろうか。

▲池には鶴島、亀島があるが亀島への沢渡りもある。
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