龍門瀑の元祖:東光寺   鎌倉時代  池泉鑑賞式
山梨県甲府市東光寺3−7−37  電話:0552-33-9070
蘭渓道隆が始めて龍門瀑を東光寺に作る 
  龍門の滝を最初にもたらしたのは蘭渓道隆(1213〜78年)である。彼は1246年に34歳のとき宋から博多に到着。途中大分県の九重町で滝に出会い「龍門の滝」と命名した。その後上洛御、執権北条時頼に招かれ鎌倉に着いたのが1247年であった。翌年より建長寺の創建に参画し、開山第一祖として入寺した。蘭渓40歳であった。その後時頼の崇敬ますます篤く、後嵯峨天皇のの勅を受けて上洛し御前で禅の要諦を説いた。しかし彼の盛名を嫉妬してか、他宗派からの誹謗や圧力が激しくなり、ついには元寇のスパイ説まで飛び出した。彼は鎌倉を出て甲斐、信濃に二回にわたって都合11年間逃避行した。この間彼が東光寺を初めとして龍門瀑の庭園を作った、といわれている。この時点から日本の庭園が従来の神仙蓬莱式庭園や極楽浄土式の庭園から禅の思想に基づいた庭園が始まった。
龍門瀑とは

  天龍寺や金閣寺などにある。ともに中国の故事にある「登龍門」の由来である鯉が、三段の滝を登って将に龍に化す様を現している。中国南宋よりの帰化僧の蘭渓道隆禅師が中国の故事にある登竜門(鯉が死を賭してまで竜になるべく努力するさま)にならって、人間が観音の知恵を得る(悟る)まで、努力をしなければならないことを日本庭園の形で教えている。このテーマを夢窓国師が引き継いで、新しい庭園のスタイルを確立した。このようなわけで鎌倉、室町時代は庭園のメインテーマは滝だ。  
東光寺の庭園      

  当庭園が蘭渓道隆によって作られたと言う確実な資料はない。しかし蘭渓が当山にいた事は有名な「達磨画像」の讃や高弟手の手紙などから確実である。確かに龍門瀑は夢窓国師の庭を始めとして鎌倉時代後期から出現し、後世に大きな影響を与えた。現時点では東光寺の滝が始めての龍門瀑と言われている。
  しかし、東光寺は武田時代には信玄の嫡男が当山に幽閉されたりして武田家との深い関係があり、寄進による改修なども考えられる。江戸時代には、あの庭好きの柳沢吉保、吉里親子が当山に莫大な寄進をしている。このとき庭園を改造、改修したとの記録はないが、大いに可能性があると思う。
  但し庭園の中央にある巨大な鯉魚石による龍門瀑は蘭渓時代のものと考えられる。その理由は
@当龍門瀑は象徴性が強くオリジナリティーに富んでいる
A付近にある向嶽寺の庭に全体構成は似ているが滝の種類が全く異なっている。向嶽寺の滝は鯉魚石も無く龍門瀑ではない。また滝の添え石がせり出していて、東光寺の構成とは異なっている。
B東光寺には庭の中央に坐禅石があり、龍門瀑である証拠となる。

東光寺と向嶽寺庭園の相関性
項目 東光寺 向嶽寺
類似点 庭の構成 山畔を利用し傾斜地に石組み 同左
水路・滝の多さ 3系統と1つの滝 3系統5つの滝
池の構成 上下二段 同左
下段の滝の形 横長 同左
相違点 滝の種類 龍門瀑(鯉魚石あり) 滝添え石がせり出し
坐禅石 龍門瀑下流にあり なし
座禅の場 坐禅石の山側のテラス状部分 なし
観音石又は達磨石 左上部にあり
三尊石 なし 山上部にあり
洞窟 なし あり
舟石 矢穴のある加工石 なし
不明点 滝の水 生得の滝か枯山水か不明 生得の滝(水路の跡あり)
推測される結論
@東光寺の庭はは蘭渓道龍によって鎌倉時代に作られた。テーマは龍門瀑と坐禅石などの禅の世界を表している。上下二段構成、山を背にした構成を確立した。
A江戸時代の甲府城主となった柳沢吉保、吉里は東光寺の庭を改修した。内容は水路を2系統追加し向嶽寺のような3系統にし、石の多い庭にした。また加工跡のある舟石も入れた。
B向嶽寺の庭は東光寺や恵林寺を参考として作庭した。東光寺を参考にした点は全体構成が山を背にし、上下二段の池を設、滝を落とすこと。但し龍門瀑に関する興味は失われて単なる水の流れ。恵林寺からのヒントは下段の池にある洞窟の作り方である。

▲法蓋山を背にした東光寺

▲全景  流れが三本ある。左側の御結び形の石の左側から発する流れ、中央の白い石から発する流れ、右側の写真からはみ出し再度写真に入ってくる流れである。池は上段の池が左右に二つ(現在は涸れている)と下段の池(水が入っている)がある。

▲中央の流れは上部の滝から発して写真下側の上段の池に流れ込み、更に下段の池に流れ込む。

▲左山裾部全景  左側の白い御結び形の石は白衣観音か達磨を象徴しているのではないだろうか。  右側の大きな石組が龍門瀑。何れの流れも上段の池を経由して下段の池に流れ込む。

▲龍門瀑およびその流れ

▲東光寺の龍門瀑  山畔を利用しておびただしい数の石を連続して組み上げている。中央にある枯滝には今にも飛び上がろうとしている鯉魚石がある。

▲写真中央部のテラス状の空間にある皺の入った円柱状の石は坐禅石であろうか

▲坐禅石から見た龍門瀑

▲坐禅石状の石は出島にあり、その山側には人が15人ほどが座禅することが出来る、場所がある。

▲写真右上の階段状の石組みは左側の流れが流れ込む水路(滝?)であろうか。現在は水路が繋がってはいないが、本来は左山裾から発する流れがこの階段状石に繋がっていたのだろうか。

▲上段の池と下段の池の仕切り部分。飛び石上に三石が連なっている石は、天竜寺・三橋の原型であろうか、単なる仕切り部の石であろうか。尚、この状態では水が溜まる状態が想像できないので、左側の石の列は土で覆われて他のだろうか。

▲中央を流れる水路         
        

▲右側を流れる水路(現在は途中切れているが)
この水路は右側の上段の池に流れ込む

▲右側の水路の源流部分

▲池に浮かぶ舟石(矢穴跡があり後世のものであろうか)
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