櫻池院  重森三玲昭和28年の作品  重森三玲・枯山水庭園の原点  国登録記念物指定
和歌山県伊都郡高野山町高野山293  電話:0736-56-2003  http://www.yochiin.com
沿革
 当院の開基は白河天皇第四皇子覚法親王であります。仁平3年(1153)12月6日当院に於いてお亡くなりになりました。院号を養智院と名づけられましたが、その後数代を経て正嘉2年(1258)3月、後嵯峨院が当院をお訪ねになり、庭前の池のほとりの桜を御覧になり、月影に照らされる池水の風景に感動され、下記の歌を詠まれました。
  「桜咲く木の間もれくる月影に心も澄める庭の池水」
この美しく咲く桜を詠んだ歌により院号を桜池院と改められました。
御本尊は阿弥陀如来、持仏の毘沙門天は当院の秘仏として、共におまつりしております。又、当院は山内屈指の学侶の寺(仏教を志す僧が学ぶ寺)として栄え、多くの寺宝・古文書が残されております。

庭園(鶴亀蓬莱の庭)
  15石、白砂、僅かの苔の三要素よりなる枯山水。竜安寺の様式を最も忠実に踏襲している。この張り詰めた空間は塵一つ無く掃き清められている。この前に佇むと竜安寺より厳しい雰囲気の中にいる自分に気が付き、我に帰る。
  重森が上記三要素のみによる枯山水の純粋さに気がついたのは、もちろん竜安寺であろうが、それを具体的な庭園の形にした初めの庭は、郷里の小倉家庭園ではなかろうか(昭和28年)。そのときに石組みの周りに少しの苔を置くことで随分雰囲気が柔らかくなることを実感したのであろうか。桜池院の場合は寺院の庭なので苔を少なくし、玄関前の厳粛な雰囲気を損ねないようにしている。また、門から入り玄関に向かって視点が動くことを想定した配石である。重森の枯山水を理解するうえで必見の庭。

 龍安寺に似ているこの庭園も決定的に異なることは自然界との境界である。龍安寺は三面を塀で囲まれた完全に独自の世界である。当院は自然界との境界をあいまいにしている。いや境界がないといえる。と言うのは、空海による高野山の密教は自然神(神社)との区別がなく、いわゆる神仏習合だ。あまりにも美しい自然との対立した庭園は当山内では成立しないのではないか思われる。このような考え方は正智院において決定的である。高野明神の降臨したと思われる盤座と重森庭園は完全に融合しているのである。

全景                ↑鶴島               ↑蓬莱山         ↑亀島

▲端正な美しさが溢れている

▲清楚に咲く石楠花

▲竜安寺風の配石

▲凛と張り詰め一直線に並んだ石

▲凛とした石楠花は張りつめた一直線の石組と競い合うかのようだ。

▲手前の伏せた石で変化をもたせている

▲一見して直列の石も角度を変えてみると石が動いて見える

▲本道から見た庭園と庫裏、山門

▲龍安寺

▲座敷から眺める小倉氏庭園(岡山県)
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