B独創的な庭園周辺の造形
 重森は主になるテーマの石組みは場所性や施主の意向に従って変幻時代の造形を創出した。さらにその周辺を彩る独創的な造形を実に多く生み出している。ここではその例の一部を紹介する。
 洲浜、延段、竹垣、網干模様、網代模様、洗い出し手法、色彩の砂、色彩セメント、彫金の引手、襖の模様、連子窓、市松模様など

A洲浜模様

 重森の大半の庭には洲浜模様が採用されている。重森の分身とも言える存在だ。洲浜に対する関心は昭和13年に毛越寺の洲浜を発見して以来である。その影響は下に示した光明院(S14)で再現され、さらに翌年には斧原家でも造形化され、その後も多くの庭に変形させた洲浜を創作した。最後の作品の松尾大社の曲水の庭が終着点である。
 ではこの造形が、かくも多く採用されたのは何故であろうか。おもうに軒下から庭園が始まるからであろう。
庭園の敷地は横には長いが、奥行きは浅いので奥行き感を出すために、視点をも軒下に誘導する効果があると思われる。一方機能的には、軒下の洲浜を回遊しながら庭園を鑑賞出来る。
 洲浜の素材としては下記に苔地と丹波鞍馬石の例を示したが、色セメント、棒石(香東川、青石)、青石などの例も多い。

A・1 苔地の洲浜
東福寺方丈北庭
『庭の美』 重森三玲著 第一芸文社(昭和17年発行) 110Pより
予てより重森は碁盤目状の模様は、向かって右側部分は暈かしを入れているとの記述があった。
以下のような作者の思い入れを知らずに、安易な評論が出来なくなってしまう。

下の写真の様に市松模様と州浜模様を重ね合せた手法の造形を最初期から行っていたことは驚きである。
重森の造形に対する深い思い入れに驚嘆する!


A・1東福寺:造園当初の「市松の庭」


当図面は庭園史体系に記載されている設計図上に、上記写真を参考にして苔地と白砂の境界線を書きいれた。


当写真は苔地の洲浜を中心にして上記境界線を書き入れた。
ただし、広角レンズで撮影したために、平面的な設計図とは異なり、手前側がより大きく映っている。


A・1 光明院(苔地):この造形の影響は大きく、狭い土地を広大な海洋風景に見立てることが可能になった


A・1旧友琳会館 霞型の州浜模様


A・2洲浜(丹波鞍馬石など)
非常に多くの庭で採用された。軒下から庭園が始まり奥行きが創出される。

前垣家:現存する最古の洲浜模様


北野美術館家
広大な海洋風景を三重の洲浜で造形した庭



久保家

洲浜形の回遊路が全庭に張り巡らされ、回遊の楽しみがある。


B 延段

門から玄関に至るアプローチには創作延段が採用された。

越智家


横山家



芦田家



小河家


C 竹垣

小河家



龍吟庵


増井家


石像寺


D 網干模様

越智家

増井家

E 網代模様

増井家


織田家


小河家


北野美術館


F 洗い出し

芦田家

田茂井家

G 幾何学模様

漢陽寺


福智院


H 市松模様

市松模様


興禅寺

I 色彩を庭園に導入
 一般的には日本庭園は古色蒼然としているものだとの先入観がある。侘びとか寂との概念からそうあるべきと思い込んではいないだろうか。桂離宮は勿論のこと龍安寺や大仙院にも色石が積極的に採用されている。重森は昭和17年出版の本で、東福寺の「井田の庭」について以下のように記されている。
(『庭の美』 重森三玲著 第一芸文社(昭和17年発行) 146Pより)

「・・・庭に花を用いる場合、花として鑑賞する場合と、景として鑑賞する場合と、色彩だけとして鑑賞する場合がある。前二者は普通従来とてもザラに用いられてきたことであるが、色彩だけとして用いられた例を識らない。そこで先年私が、東福寺の方丈庭園設計にあたって、西庭に蔓石を入れ、一を白砂に、一をサツキの小刈込とした。これはサツキの花を愛したのではなく、その色だけを愛する行き方であって、井田市松模様としたのであった。ここではサツキを蔓石一ぱいに刈り込むことにしているから、花のない季節には青と白、花が咲くと赤と白の景観が出来るのである。色だけの対象を作意に入れたことはちょっと面白い点である。斯様なことも、今後の日本庭園では試みる必要があり、そこに日本庭園の新しい前途がある。」

龍安寺:通称「横三尊石組み」


桂離宮:笑意軒前の延段


石像寺:青・白・朱・黒が青竜・白虎・朱雀・玄武に因んで採用された


漢陽寺:幾何学模様の枡の中には白砂・赤砂・緑のつつじ(花が咲くと朱色)


旧友琳会館:重森の色彩転園の決定版


福智院:比較的小さな庭であるが、印象的な色彩と形の造形なので強いインパクトを与える。

J 茶室や書院の意匠
 茶室や書院も作るが、単に大工仕事が器用だと言っているのではない。単なる箱を一瞬にして宝石箱にしてしまうのである。襖絵や引手に独特の造形が描かれている。

小河家:「小」の字の引手


小河家:「河」の字の引手


小河家


小河家


桑田家



桑田家


越智家:イサム・ノグチが重森と共に逗留したことでも知られている(牡丹庵に白牡丹のデザイン)


増井家:
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