5現代枯山水の祖「重森三玲」の功績

@地割の多様性

 地割とはマスタープランと言ったほうが理解しやすいかもしれないが、ここでは造園業界の慣用語として地割を使用する。
 重森の庭は広大な面積に造園することが少ない。比較的小さな場所が多いのは、個人庭園や敷地に制限のある神社仏閣が多いからだ。ここでは敷地面積の応じた地割の特徴を記載する。

@・1 極端に奥行きの少ない庭

 狭くても無理やり庭を作ったというよりも、狭いからこそ芸術性の高い庭が出来たというべきか

よくぞこのような地割を考え出したものだと感心する(春日大社・本休寺・西谷家・岸本家)

春日大社設計図
 奥行きが約3m強で、幅が20m以上の細長の敷地に遣水の造形を作った。「 Z 」字型の遣水のパターンを二つ繋いだ.。この長細い造形は稲光とも理解できるが、それは春日若宮の龍陣信仰に因んだからであろう。このような超横長の敷地にはあれこれの造形を詰め込むのではなく、一つのテーマのみを示すことにより、充分満足する庭になることを示した好例だ。

春日大社:建物と壁の距離は最も狭い場所では約3m

本休寺:この庭の敷地は幅が約17mに対して廊下と壁の距離は約3mに満たない。この狭隘な場所に七五三の立石を組んだ。これでは単に石が並んでいるだけだ、そこで重森は波涛の敷石を造形し、さらに壁には波涛の水墨画が描かれた。単なる石の配列が突然に芸術的造形に変身したのだ。この敷石の造形こそが羅列した石組みを瞬間に芸術作品にしてしまうのだ。
 
本休寺:美しい造形        現在は敷石を撤去してしまった。なお壁の波涛の模様は残っている

西谷家(S4)33歳
 4mに満たない奥行きの敷地に爽やかな庭を創出した。先ず立石は右側の築山のみにして、煩雑な庭にならないようにした。手前には小さな臥せ石のみを散在させ、広がりを感じさせるようにした。奥の竹垣は高さを低くして背後の自然が見えるようにした。これにより、故郷の自然の美しさと対照的な人工造形が互いに引き立て合うのである。なお、この庭は重森の自邸の庭を除けば、最古の庭である。

岸本家(S47)76歳
 横長の敷地に本格的な庭を作った。その手法は、隣家との塀際に横長の二本の築山を作った。築山は一般的な苔地ではなく、洗い出しによる色セメントの造形だ。この上に青石の石組みがなされている。更に軒下には美しい形の洲浜の敷石が横長く敷かれている。庭園の全体の地割は途切れることのない横長の造形が続くのである。メリハリのある造形と色彩に目が奪われてしまい、奥行きの狭さを感じることが無い。

@・2 極小の庭(四方家・漢陽寺・前垣家坪庭・石清水八幡宮)
極小面積の庭であるからこそ存在感がある造形を考え抜く

四方家設計図


七五三の庭(右側の3石、3+2=5石、5+2=7石)
苔地と白砂の仕切り(左下がり)と小笹の列(右下がり)が直交している。小さな空間に、自然の素材を使いながらも、全く人工的な造形を創出し、芸術作品にした。


漢陽寺(S44・73歳):地蔵菩薩が童と手を繋いで回っている造形だ。仏説を視覚化した見事な造形だ。

前垣家(S30・59歳):何をも象徴していない完全なる抽象の世界だ。狭いからこそ完結できる空間だ。

石清水八幡宮(S27・56歳):神官が列立し、参進する場所だ。ここに龍安寺スタイルの枯山水を作った。


龍吟庵(S38・68歳):大明国師の幼少時代の伝説を躍動的に視覚化した造形だ。16坪の空間を国師伝承場にさせてしまった。
@・3 やや小さな庭の地割はワン・イッシュウの造形
 広い面積の庭はあれこれの造形を詰め込んで鑑賞者を満足することが可能である。しかしやや小さめの敷地には複数のテーマを持ち込むと統一性が得にくくなる。このような条件下ではメリハリのある一つのテーマを前面に打ち出した(ワン・イッシューの庭)。

春日大社(S9):三方正面磐境の庭は苔地と白砂を仕切った一直線は刺激的だ

春日大社(S12):Z字型の遣水の造形を反復して細長い敷地覆っている(@・1に重複)

井上家(S15):巨石壺の庭園名の通り蹲踞に特化した露地だ。深山幽谷の湧水を組む趣だ。

斧原家(S15):両端からデザイン化された出島が入れ違えた枯曲水の造形はインパクトがある。

清原家(S40):建物に囲まれた坪庭であるが、抽象化された三重州浜をが輝いている。これからの住宅の見本になるのでは。


旧友琳会館(S44):町舎の中庭に大きな「束ね熨斗」を大きく造形。この鮮やかな模様に吸い寄せられてしまい、日本庭園であることを忘れさせる。誇るべき近代日本の造形だ。

福智院(S48):四方を客室から囲まれた4階建ての宿坊である。四方正面の庭であり、俯瞰して鑑賞の庭でもある。七五三の庭の形態であるが、グラフィックデザイナーの庭とも言える。

@・4 大きな庭には多島式地割で分散と統合を図る

 重森は庭園の空間を埋めるために神仙蓬莱思想・説話・仏典の物語に典拠して、複数の石組群を作った。この種の考え方で一番簡単なのは鶴島、亀島であるが、具象的な造形になるので余り採用していない。重森が好んで採用したのが神仙蓬莱思想の三神仙島・四神仙島である。下記庭園の他に村上家、小倉家、深森家、旧重森家、岸本家も同様の地割である。また多くの数の石組みをした例は八陣法、二十五菩薩来迎図、三十三観音、四十八願、四神相応などの物語を視覚化することであった。いずれもやや大きめの敷地の場合に採用されているのは、仏典などに典拠しているため、分散と統一が図りやすいからであろう。
 
 ここで一つ気になることであるが、神仙蓬莱思想や仏典などに典拠した物語なら、「もっともらしく」納得してしまうのは何故であろうか。シンボルとしての物語で意味を持たせてしまうのであろうが、そのような仕掛けが本当に必要であるのかは疑問が残る。以上のことは重森に対して言っているのではなく、我々鑑賞者の問題であるのだ。
 一方、高度に抽象化された作品であれば、そのようなへ理屈に根拠を求めてはいないのではないか。これは日本庭園という狭いジャンルで問題にしているのではなく、絵画、彫刻などすべての芸術作品でのことである。


東福寺南庭:図面左側より方丈・蓬莱・瀛州・壺梁の四神仙島の各島に石組をして複雑な造形にした。


東福寺南庭:上記石組み

田茂井家:東福寺同様に四神仙島を作った。


芦田家:三神仙島

瑞応院:テーマは二十五菩薩来迎図であるが、眷属も入れて35石の石が組まれている。なお手前に観音菩薩、勢至菩薩を立て遠近法を駆使して奥行きの深い庭にした。

石像寺:青竜.白虎・朱雀・玄武の抽象造形を組み、併せて四神相応の物語にした。
  総合TOP  ヨーロッパ紀行TOP 日本庭園TOP