西芳寺枯山水の系譜
  西芳寺の龍門瀑は阿欄若としての場であることが知られているが、その源流になるのは蘭渓堂龍が作った東光寺と夢窓国師が永保寺ではないかと考えられる。以下その流れを表示する。

▲東光寺 帰化僧の蘭渓道隆が始めて龍門瀑布を東光寺に作ったが、観賞用に作ったのではなく、禅の修業のために作ったと思われる。写真でははっきりしないが滝の前などに適頃の広場があり個々で修行の坐禅を組んだのではなかろうか。

▲永保寺の梵音岩
  夢窓国師が西芳寺を創建するよりも25年前に永保寺を作った。この地は土岐川に囲まれた小高い丘の上にある。しかも写真のような巨大な巌があり、古代から磐座蔵として信仰の対象であったと思われる。それ故観音堂は磐座の横に建立されている。この聖地に入るためには無際橋なる反橋を渡るのである。この岩に向かって坐禅を組むとしたならば小高い山にある坐禅石が最適であろうか。なお巌の上を飛瀑泉なる滝が流れているがかなり遠方から人工的に導水しているものなので、当初からのものかは不明である。

▲西芳寺

この庭を作った夢窓国師は「釈迦は修行すべき場所として『山林の樹下や巌穴の中などの草庵や露地に座すべき』としている」のように、山林に座禅を組み上中下と三段階の修行を行うことにより、自分の心の分別と進み具合を見定めてゆくべき、と考えていた。手前の岩の塊の前にある空地には約十人ほどが坐禅を組め、中段には5〜6人が坐禅した。上段者は上段の滝にある二つの坐禅石に座った。即ちこの滝は三段よりなる龍門瀑と楞伽窟の故事を関連させて修行の場所として作ったものである。この三段の滝は修行の場として龍門爆と楞伽窟(りょうがくつ)の両故事に基づいて創られたのである。このことより日本庭園は一気に精神性を秘めたものになったのである。
備考)釈迦は楞伽窟(りょうがくつ)と名づけ、悟りの度合いに応じた段に座り、上級者から刺激を受ける場に指導している。


▲慈照寺(銀閣寺)の上段部岩組
  西芳寺に倣って作ったとするならば、枯山水による三段の龍門瀑と上中下三段の修行の広場があったのだろうか。山上部石組みは江戸時代末期に山崩れで埋もれてしまったが、昭和6年に発掘された石組みである。これだけ多くの岩が急峻な傾斜地に組まれているのは、相当な目的と意志があると考えられる。私の当て推量では岩と岩の間に空地があることから、釈迦の言う楞伽窟(りょうがくつ)と中国の故事の「登竜門」を合わせた形の石組みが組まれていたのではなかろうか。