二条城二の丸庭園  桃山・江戸初期  池泉回遊式
京都市中京区二条通堀川西入ル二条城町  電話:075−841−0096
  江戸初期の作であるが、家康の屋敷に作った庭であるため、桃山時代の雰囲気が全体にみなぎっている。天下人の庭は広く且つ豪華でぎっしりと詰まった石組は一分のスキもなく息がつまりそうである。護岸となる石も二重三重に組まれているので、このような圧迫感のある庭になり、以降このような迫力のある庭は出現しない。尚この庭は後水尾天皇を迎えるために改修したものである(小堀遠州)。この蓬莱島、鶴島、亀島に橋を架け直接踏み込んでいる。、滝は一番隅にあり、鯉魚石もなく水が流れるだけだ。鎌倉時代以降、精神的な要である龍門の滝に対する敬意がない。実力の世界だ。

見る位置はは大別すると三ヶ所ある
@行幸御殿跡からの景色:入園して最初に飛び込んでくる景色である。しかし本当は石垣の奥にあった行幸御殿跡から見るように改修されたものである。是非こちらからも拝観できるようにして欲しい。
A大広間から前からの景色:広い空間にぎっしりと巨石が詰まっている。左側に蓬莱山、中央に亀島、右側に滝がある。
B黒書院よりの景色:この位置は行幸御殿からの見れば、裏側からの景色になる。しかし、この位置からは宝来山を背負った亀が横からはっきりと見え、またそこから架かる橋が三重に連なっていて絢爛豪華極まりない。こらぞ桃山文化というべきか。
以下拝観順に記載する。尚最近作った清流園が奥にもある。

▲行幸御殿側(南東)より見た鶴島と蓬莱島
 写真右側の蓬莱島は左の鶴島と対応して亀島にも見える。右側の大きな石(屏風岩)は出島部分。その手前にあるのは船石。亀島とともに仙人が住む蓬莱山に向かっている。

▲上記写真では見えなかった蓬莱山を背負った亀島を象徴する亀甲石が見える

▲石垣の奥が行幸御殿跡。この位置から見るように小堀遠州によって改修された

▲行幸御殿からの石橋(本来は木橋)と舟石

▲全体的な景色(大広間側より)  左側より蓬莱島、亀島、滝がある

▲滝は現在この位置に流れているが、本来の滝の流れは行幸御殿から眺めたため、中央左側の白い石の部分を流れていた

▲大広間側から見た蓬莱島と亀島。
 蓬莱島は右側の亀島に対した部分は鶴島に見えるようになっている

▲大広場側から見た蓬莱島拡大写真  左側の立った石が亀頭石

▲大広場側から見た蓬莱島(羽石により鶴島的に見える)と亀島

豪華絢爛たる石組

▲黒書院側から見た蓬莱島全体  中央の尖った石はもはや羽石には見えない

▲羽石、鬼頭石、滝

▲右側の亀島に橋が架けられている。右端の焼け爛れたような石は亀頭石、絢爛豪華だ


▲清流殿
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蓬莱島