夢窓疎石(国師)の年譜
                                     川瀬一馬「夢窓国師 禅と庭園」より
西暦 年齢 元号 天皇
(北朝)
夢窓疎石の事項 備考
1259 正元元 亀山
90代
ー             ー 
1264 文永元 ー  亀山天皇離宮禅林寺
ー  ー  ー  ー  ー 
1274 0 文永11 後宇多
91代
夢窓伊勢に生まれる 亀山上皇東山山荘
1275 1 建治元 ー  ー 
1276 2 建治2 ー  ー  ー 
1277 3 ー  ー  ー  ー 
1278 4 弘安元 ー  夢窓4歳のとき伊勢から甲州に移住、八月母喪う 蘭渓道隆没
1279 5 ー  ー  ー  ー 
1280 6 ー  ー  ー  ー 
1281 7 ー  ー  ー  弘安の役
1282 8 ー  ー  ー  無学祖元円覚寺開山
1283 9 ー  ー  平塩山寺で空阿に学び、出家をめざす 山梨県市川大門町
(現)宝寿院
1284 10 ー  ー  ー 
1285 11 ー  ー  ー  ー 
1286 12 ー  ー  ー  南禅寺火災
1287 13 弘安10 伏見
92代
ー  南禅寺再建
1288 14 正応元 乾徳山にて修行(徳和の八衛門に介抱される) 南禅院を南禅寺に
1289 15 ー  ー  ー  「作庭記奥書」
1290 16 ー  ー  ー  ー 
1291 17 ー  ー  ー  亀山法皇離宮を改め南禅寺とす
1292 18 ー  ー  奈良戒壇院で慈観律師より受戒→甲州に帰る ー 
1293 19 永仁元 ー  禅宗に恵一生を過ごすと決意 ー 
1294 20 ー  ー  ・徳照の忠告で建仁寺の無隠円範(蘭渓の弟子)に参堂 由良の興国寺中止
1295 21 ー  ー  ・東勝寺の無及徳詮(むきゅうとくせん)に→焼失
・建長寺の葦航道然(いこうどうねん)
ー 
1296 22 ー  ー  ・円覚寺の桃渓徳悟(とうけいとくご)に
・建長寺の癡鈍空性(ちどんくうしょう)に
・建仁寺の無隠円範(むいんえんぱん)に
ー 
1297 23 ー  ー  ー  ー 
1298 24 永仁6 後伏見
93代
ー  ー 
1299 25 正安元 来朝僧の一山一寧に(延二年間) 一山スパイ容疑あり
1300 26 ー  ー  羽州に旧友を訪ねんとするも、その訃を聞き松島に逗留、12月那須の仏国国師を尋ねたが不在。脚疾を患い那須に逗留 那須の雲巌寺は黒羽町にあり景観良し
1301 27 正安3 後二条
94代
建長寺に一山一寧に再参、円覚寺に隋侍するも、印可得られずー  ー 
1302 28 乾元元 ー 
1303 29 嘉元元 ー  ・一山の許を辞し、万寿寺の仏国国師に参ず。
・白鳥奥州趣く(観音堂のみ 岩手県前沢町旧白鳥地区)
白鳥は諸説あり
1304 30 ー  ー  常陸の内草山で坐禅(諸説あり) 茨城県高萩市上君田
1305 31 ー  ー  ・常陸国臼庭にて大悟
・浄智寺の仏国国師より印可(直ちに帰郷)
・二階堂氏は夢窓のために牧庄に浄居寺を開いた
常陸臼庭
 茨城県北茨城市
1306 32 徳治元 花園
95代
・夢窓は浄居寺に住す 浄居寺は山梨県牧丘町窪平154との説
1307 33 ー  ・仏光国師以来の衣を仏国国師より伝衣される
1308 34 延慶元 ー  ・一山の許に参じ拝別す。平塩寺の静達上人に拝す ー 
1309 35 ー  ー  ・那須雲巌寺に仏国国師を尋ねる。甲斐に帰る ー 
1310 36 ー  ー  ー  ー 
1311 37 応長元 ー  龍山庵の類焼を法衣を着て巌上で坐禅し風向きを変えた ・龍山庵は浄居寺から30里、しかし雲水集まる
・塩山市柚木205
1312 38 正和元 ー  雪中に龍山庵を下り、浄居寺に帰る
1313 39 ー  ー  夢窓国師郷里に前後7年隠塞したが、仏国国師が上の上野の長楽寺に推挙したるを知り、密かに富士五湖、駿河愛鷹山(あしたかやま)の山居、沼津大中寺、駿河湾の多比を経て虎渓山に至る
1314 40 ー  ー  永保寺観音閣建つ ー 
1315 41 ー  ー  美濃各地に幽居の地を求む
・妙楽寺:坐禅窟 加茂郡川辺
・東香寺:寺景 加茂郡富加町
・少林寺:木曾川 加茂郡川島
ー 
1316 42 ー  ー  美濃清水教院に隠居(場所未定)、のちに虎渓山に帰る ー 
1317 43 文保元 ー  虎渓から上洛し北山に遇す ー 
1318 44 文保2 後醍醐
96代
執権北条高時の母、覚海夫人を避け土佐へ逃避。吸江庵・竹林寺作庭(この間播磨瑞泉寺、阿波補陀寺、吉野川を遡り土佐に行ったと思われる) ・吸江庵:眺望良
・後醍醐天皇即位
1319 45 元応元 覚海の強引な要請で土佐から鎌倉(勝栄寺)に仮館す。
横須賀に座禅窟を作り、泊船庵建つ。国師は泊船庵に5年も滞在した。鎌倉に近いため人事にも関わる。
ー 
1320 46 ー  ー  建長寺に霊山道隠和尚尋ねる ー 
1321 47 元亨元 ー  泊船庵背後の山に「海印搭」建つ ー 
1322 48 ー  ー  泊船庵在住 ー 
1323 49 元亨3 ー  御宿(大福寺)を経て上総・退耕庵建立「金毛窟」(2年半) 千葉県夷隅町能実
1324 50 正中元 ー  金毛窟在住 大徳寺開創
1325 51 2 ー  後醍醐天皇上洛の勅使.。要請断るも執権を動かす。やむを得ず甲州・中仙道・永保寺経由で上洛し南禅寺に ー 
1326 52 嘉歴元 ー  執権高時の寿福寺行きを断り、伊勢で善応寺(現聖輪寺)を開く。その後那智に篭り鎌倉(南芳庵)へ ー 
1327 53 ー  ー  錦屏山に瑞泉寺開創 ー 
1328 54 ー  ー  観音堂、「遍界一覧亭」と坐禅窟(葆光窟)創る ー 
1329 55 元徳元 ー  やむを得ず円覚寺に住す。貿易船貨財寄進で寺復興 ー 
1330 56 2 ー  円覚寺を辞し、瑞泉寺に帰り、翌日牧庄に往き、恵林寺を創建す ー 
1331 57 元弘元 (光厳) ・恵林寺から瑞泉寺に帰る。
・北條高時建長寺請ずるも赴かず
後醍醐天皇北山第の池泉船遊
1332 58 2 ー  ・瑞泉寺から恵林寺
播磨の瑞光寺建立(時期的に無理、土佐への時か)
兵庫県多可郡中町門前集雲山瑞光寺
1333 59 3 ー  ・北條高時またも建長寺に請ずるも赴かず
・甲斐より鎌倉・瑞泉寺に帰る(この頃清白寺を開き、古長 禅寺を再興す)
・後醍醐天皇尊氏に命じ、勅使を遣わし7月臨川寺入寺
5月北条氏滅亡
6月後醍醐天皇京都環幸
1334 60 建武元 ー  10月南禅寺に再住 建武の中興
1335 61 ー  ー  ー  ー 
1336 62 延元元 (光明) 正月建武の中興破れ、兵乱のため南禅寺を辞し臨川寺に 室町時代
1337 63 ー  ー  ー  妙心寺開創
1338 64 ー  ー  ー  足利尊氏征夷代将軍
1339 65 ー  後村上97代  西芳寺(西芳教院)を再興開山となる
天皇崩御後亀山離宮を仏寺とし、開山開山に請ぜられる
後醍醐天皇崩御
1340 66 興国元 ー  細川氏、阿波国補陀寺を建立。国師を開山に請ず ー 
1341 67 ー  ー  歴応寺を天龍寺と改称 ー 
1342 68 ー  ー  ー  ー 
1343 69 ー  ー  ー  ー 
1344 70 ー  ー  ー  ー 
1345 71 ー  ー  ー  ー 
1346 72 正平元 ー  夢窓天龍寺十境 光厳上皇西芳寺舟遊
1347 73 ー  ー  ー  ー 
1348 74 ー  (崇光) ー  ー 
1349 75 ー  ー  ー  ー 
1350 76 ー  ー  ー  ー 
1351 77 ー  ー  夢窓臨川寺寂 ー 
1352 ー  (後光厳) ー 
1357 ー           足利尊氏没
1386 ー  ー  ー  南禅寺五山の上に
1392 ー  ー  ー  南禅院焼失
南北朝合一
1397 ー  ー  ー  足利義満北山殿立柱
1489 ー  ー  ー  足利義政慈照寺