松尾神社  枯山水  桃山時代
滋賀県八日市市松尾町3−13  無人
沿革
  1568年、信長は上洛に抵抗する佐々木承禎攻めた。そのとき承禎の配下としてこの地を守っていたのが、領主建部氏であった。この戦いで館は消失したが庭が残り、そのあとに松尾神社が建てられた。
庭園
  庭は二つの島を橋で結んでいる。左の島は蓬莱山を亀が背負っているのであろうか。左側に三尊石組みがあり、右側の立った石は蓬莱山。さて、なんといっても目立つのは蓬莱山に架かった石橋である。蓬莱山は仙人の住まう場所で、人間が憧れを持って想う聖地である。ここに橋が架かるということは戦国時代の所謂下克上の時代からだ。このような厚くて荒々しい石が特徴である。例えば円徳院、朝倉遺跡などが有名である。この石橋をもって桃山時代の作であるといえる。また島の奥には山裾を利用した蓬莱連山がある。この地は太郎坊の山に象徴されるごつごつした山で、庭石の採取には事欠かない。思うに、この山裾を何故利用しなかったのか理解できない。わざわざ石を組み上げて島を作ることは容易ではない、山裾を利用すれば立体的な奥行きのある庭が出来たのに。

▲全景  二つの島と、そこに架かる石橋。奥には蓬莱連山を望める。

▲手前の島には階段があり島に上るように出来ている。
階段左脇の亀がこの島へ参拝者を誘導する

▲二つの島を結ぶ分厚い石、奥の島には蓬莱山(右の立石)と三尊石がある

▲分厚い橋

▲橋と山畔石組み

▲横から見た橋                                 ▲橋の形は亀甲形

▲手前の島と山畔

▲亀が蓬莱山を背負っている(右隅の橋の下にある立石が亀頭石)。杉の左は参拝者の降りる道

▲亀頭石と亀の手(手前の石)

▲蓬莱山(左)と三尊石
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