本法寺  本阿弥光悦伝承の庭  枯山水  桃山時代
京都市上京区小川通り寺ノ内上ル  電話:075−441−7997
沿革
  本法寺は日親上人を開山年、1436年に市内の綾小路東洞院に創立されたが、後いくたびか寺地を移し、1587年に聚楽第の周りに大名屋敷を立てるために、強制的に移転されこの地に再興された。
  日親上人は足利義教に「立正治国論」を献じたが将軍の怒りに触れ投獄された。一方本阿弥光悦の祖父本阿弥清信は刀剣の鑑定士として将軍に仕えていたが、同じく将軍の怒りに触れ投獄された。清信は同じく投獄された日親上人の教化に感動して日蓮宗に帰依した。後に許されて獄舎を出た清信は、剃髪し法名を光本と称し本法寺の有力な大檀越となった。1587年にこの地に寺を再興する時に光悦は父光二と共に私財を投じて完成に努力した。
庭園
  「三巴の庭」といわれるこの庭は巴形の地割の島が三つある。特に方丈の右奥にある枯山水の滝が見事である。すっくと立っている二体の僧侶は日蓮聖人、日親上人を表しているのだろうか。深い信仰の証としての庭園といえるのだろうか。

▲山門は裏千家の今日庵に面している

▲玄関

▲枯滝から流れ出した渓流は石橋の下を潜って大海にでる

▲斬新な枯滝の意匠
  仁王のように立つ二本の立石の間に、水落石は後ろに倒されている。この立石は禅寺では不動石、観音石を意味するが、ここは日蓮宗なので宗祖日蓮聖人と開祖日親上人を表しているのではないか。手前の縦じま模様の青石は渓流の流れ落ちる様をあらわしていて、相当の名石である。

▲奥より撮影した三尊石(御住職の特別の計らいで撮影許可された)

▲手前が半円の石を組み合わせ日の字を表し、奥は10本の切石による蓮池になっているが日蓮の教えが十方に広がることを象徴しているのだろうか。本阿弥光悦の作と言われるゆえんである。

▲書院に儀側にある巴島の蹲