願行寺  枯山水 桃山時代
奈良県吉野郡下市町寺内  電話:0747−52−2344
沿革
  後醍醐天皇が1336年に吉野に逃れた.そのとき覚如上人の息子の在覚が同行しこの地に住した。その後本願寺蓮如上人が吉野を訪ねた折に、在覚野旧跡を訪ね、堂宇を建て、願行寺とした。願行事は大和、摂津、近江に77ヵ寺を末寺とし大いに栄えた。
庭園
  当寺は蓮如に関わる寺なので、寺号に示されているように「阿弥陀浄土に行くことを願う」ことがテーマだ、即ち「二河白道」であろう。このテーマを素直に受け止めれば、炎、水に象徴される人間の欲から救われるためには、一途に阿弥陀如来にすがるしかない。となると正面のすっきりした石は阿弥陀如来で、右側の立石は揺らぐ炎を象徴し、左側の高く架かった橋は水を象徴し、中央の石は小船を表し、栗石は娑婆の海を象徴しているのだろうか。
 また考え方によっては正面の立石は枯滝を示し、左側の石組みは洞窟を表す、との説もある

造形として見る願行寺庭園
那智黒石が敷き詰められた平庭に左右から出島状の石組みがあり、その奥には軽い築山の上にクッキリとした一本の枯滝がある。間口に対して奥行きの浅い庭であるが、このような地割であると遠近効果により狭隘感がない。この地割は龍安寺とも類似ではなかろうか。
 造形の意味づけは蓮如に縁のある庭であるから当然に解釈できるが、宗教的な意味合いとは別に、造形的な感嘆からも興味深い庭である。

左から水、阿弥陀如来、白道

▲向かって右側から俯瞰して眺める。
左から、水、小船、荒波、阿弥陀如来、炎を象徴か

▲中央左側の石を一本の白い橋に見立てるならば、栗石は怒りや恨みが渦巻く火の川と、貪欲が荒波となる水の川という煩悩の二河が流れている。しかし阿弥陀の世界に行きたいと願う清浄で強い願いがあれば煩悩の河を渡ることができる。阿弥陀の世界への船出がテーマ。

▲書院の中から眺めたアングルから撮影(廊下に腹ばいになって撮影)。我々は廊下から立ったままのアングルで見ると、岩は小さく見える。しかし、このようなアングルであると、渓流を下る清流の音が聞こえるような気がする。


▲この石組みはなんと解釈するであろうか。野村氏に教えを乞うたら「平らな石は船で、左右の暴れ石は阿弥陀の世界を求める船に襲い掛かってくる荒波」を表しているとのこと。

▲はたして洞窟か、単なる橋(水を象徴)か

▲上記石組みの細部

▲火炎と阿弥陀如来

▲左奥には蓬莱山がある

▲本堂
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