円覚寺 北条時宗の求めに応じて来日した無学祖元の開山
宋僧の無学祖元
  時頼信頼の篤かった蘭渓道隆が没したあと、北条時宗は道隆の弟子を宋に派遣し名僧を探させた。その求めに応じたのが無学祖元であった。1279年に鎌倉に着いて直ちに建長寺代五世住持に任ぜられた。ときに54歳、時宗29歳であった。来日後円覚寺創建までには三年を待たなければならないが、その日々は時宗と祖元にとっては激動の日々であった。中国では遂に元が南宋を滅ぼし、1281年(弘安4年)、日本に二度目の襲撃を仕掛けてくる。それを迎え撃つにあたって祖元は「莫煩悩」の三文字を時宗に与え、「大事到来のおりにはかれこれ煩悩する必要がない一切を断ち切り、しり込みすることなく進むことだ」と教えた。翌年円覚寺が創建されるが、その目的は文永、弘安の元寇の戦いで戦没した敵味方の慰霊の会ためであった。円覚寺創建の2年後1284年に時宗は34歳の若さで亡くなった。祖元はその死をひどく悼んだという。

▲方丈に面した庭園  水の出口

▲書院(中央)と方丈(右)に囲まれた庭園

▲方丈に面した庭園  写真右側にある巨石は何であろうか。
  写真に見える書院は当初からあったのであろうか。ハレーションしている部分は滝

▲いかにも無理やり作った感じの滝

▲妙香池

▲妙香池と虎頭岩    虎頭岩の奥には洞窟がある。なお黄梅院手前には白鹿洞がある。

▲白鷺池 鎌倉街道とJR線路の間にある。一部ではあるが岩組みがある。

▲居士林

▲三門
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