大徳寺・瑞峯院 昭和の名園
京都市北区紫野大徳寺町81  電話:075−491−1454
沿革
  大徳寺の塔頭寺院の一つである瑞峯院は、大徳寺第91世徹岫宗九和尚、すなわち普応大満国師の開山である。この大満国史に帰依した九州豊後の大友宗麟が開基で、天文二年(1533)に創建された。方丈は天文四年に完成した室町末期の建築で、重文に指定されている。
庭園
  この庭園は重森三玲氏が主催している京都林泉協会(日本庭園、古社寺の建築、石造品などの研究会)の創立30周年記念事業の一環として昭和36年設計、寄贈されたものである。本院が大徳寺塔頭寺院である関係から、碧巌録中の独座大雄峯をテーマとして用いた。南庭(独座の庭)145坪、北庭(十字架の庭)100坪で構成されている。南庭の独座の庭は、西南の角に巨石を立て、下部の石組群は東部に向かって細長い苔地の出島をつたい、さらに白川砂中に細長く突出させ、離れた一石を岩島に見立てている。北庭は閑眠の庭と命名され、開基の大友宗麟が、キリシタン大名であったので、それをテーマに十字架の庭とした。表の庭は開山の庭で禅に囲み、裏の庭は開基にちなんでキリシタンの庭としたのも意味のあることである。
  このように現代の庭は禅寺であっても、現代に生きる我々の理解しやすいテーマを採用することにより、改めて日本の伝統が再生されていることを感じることが出来る。

▲雪が降ると枯山水の風情が一層際立つ

▲降りしきる雪の庭(2/9)

▲峨々たる山から下ってきた激流は、野山の渓流になり、そして大海に帰っていく。しかし、再び雲となり山に雨を降らし激流となり還流する。

▲荒波を受ける出島とも雲から湧き上がる龍とも感ぜられる。

▲重森氏の作品は厳格な巌と柔らかな生垣が同居しているところが魅力だ

▲峨々たる山がそびえている(東側より).視点によって全く異なる様相を見せる。

絶海の孤島

▲南庭の西側には静かな入り江があり飛沫が上がる巌とは対照的だ。

▲キリシタン大名大友宗麟にちなんで縦に四石、横に三石による十字架を表している。また硬い白砂に対して柔らかな緑の島を対比させることによって、ゆっくりと観賞できる。

▲ローアングルによる十字架

▲門から玄関への道も石畳を屈曲し、生垣を添え奥行きをだしている。
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