ポンペイの遺跡
  この町の歴史は紀元前8世紀にギリシャの植民地になり、紀元前80年にはローマの支配下に入った。ローマの裕福な貴族は競って温暖で肥沃な土地に移り住んだ。ところが紀元62年には大きな地震があり、その復旧が終わらぬうちにヴェスヴィオス山の大噴火が起きた。2日間で約7mの灰で埋まった。18世紀になってフランスのブルボン王家が発掘を開始した。
  ここにはローマ帝国の状態がほぼ完全な形で封印されているので、我々がその時代を想像するには格好な遺跡である。しかしその悲劇的な幕の閉じ方のため、ポンペイは何か割り切れない感が残る。

▲ジュピター神殿と背後のヴェスヴィオス火山

▲秘儀荘でのディオニソスの秘儀
左からひざまずいて受胎のシンボルを取ろうとしている。黒い羽根を持つ神は情け容赦なく入門者に鞭をふるう。入門者は情け深い女性のひざに避難する。最後の試練を乗り越えた入門者は喜び踊る
 
▲アポロ神殿を囲む柱廊            ▲舗装した敷石には轍の跡が
   総合TOP  ヨーロッパ紀行TOP 日本庭園TOP