地名:ミネケーネ
 ミケーネ文化は紀元前16〜12世紀にクレタ文明を受け継いで栄えた。ギリシャ本島にあって他の遺跡とは一味違っているのは、より古い時代の遺跡だからだ。伝説によるとミュケナイは「王のなかの王」とも「都市の略奪者」とも呼ばれた武人王アガメムノンのもと繁栄した。強力な王による統治のもと、ミュケナイは富を得て、街は黄金にあふれていたという。アガメムノン王はのちにトロイ戦争で活躍し、故郷に帰還したあとで暗殺されたとされている
 ギリシャの遺跡は多くの場合背後に形の良いコニーデ形の山がある。この山は信仰の対象としていたのではないか。古代においては巨石、美しい山など自然の造化の妙を信仰の対象とした。ギリシャではアテネのアクロポリスの丘、有名なオリュンポス山、デルフィーの絶壁、コリントス山、エピダウロスにあるコニーデ形の山、そしてミケーネの円錐型の山など、私の見たものだけでも結構サンプルが集まる。この信仰の山には神の住まう神殿が建てられたが、しだいに実用的な戦いの砦としても利用されるようになった。そしてキリスト教の時代になると自然崇拝は忌むべきこととして一切禁止される。


▲獅子の門から信仰の山を望む

 ミュケナイの遺跡を発掘したのは、ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンである。伝説に語られたトロイやミュケナイの存在を信じていた彼は、1873年にはすでにトロイを発掘しており、次の目標をミュケナイに定めていた。1876年シュリーマンは、ミュケナイの城門である「獅子門」の内側から竪穴墓を発見し、この地が伝説のミュケナイであることを証明した。
 ホメロスの詩に「黄金に富めるミュケナイ」とあるように、実際のミュケナイも富に満ちていたことが、残された墓の副葬品からわかっている。
 シュリーマンが発掘した墓穴には、王家の男女と子供たちの遺骸が納められており、王子は黄金の仮面と胸当てを着け、金銀製の容器や豪華な大小の剣、大きな金の花冠、バルト海沿岸から運ばれてきた琥珀など、数々の品々とともに埋葬されていた。

▲円形墳墓は直径26.5m
発掘者のシュリーマンはこれぞホメロスの詩のアガメムノン王の墓だとしたが、実際はもっと古いもの、とのこと。なおシュリーマンはホメロスの詩に出てくるトロイとミケーネの両遺跡を掘り当てた。

▲墓の周りの板状囲い
板状の石が二重に囲んでいる。ストーンサークル状であるが、日本では岡山県の盾築神社の畳のような囲い石が思い起こされた。

▲トロスはアトレウスの宝庫と言われる
円錐状の墓は32層の石積みで高さ13.4m、直径14.5mからなる。羨道は長さ36mある。そしてその羨道はまっすぐ円錐状の神体山に向かっている。(約3000年前)

▲ホテルからアルゴス平野を望む
ミケーネに行く時の宿泊は遺跡から徒歩10分のミケーネ村がお薦め、朝焼け夕焼けがすばらしい。

▲夕暮れに佇む
ホテルはすぐ下の村にとったので閉館まで丘の上にある宮殿で寛いだ。ふと気がつくと老夫婦が詩を書いたり読書を楽しんでいた。
   総合TOP  ヨーロッパ紀行TOP 日本庭園TOP