1神託の地デルフォイ

1.1オンファロス(世界の臍)
  紀元前6世紀のイオニアの哲学者アナクシマンドロスは初めての世界地図を作った人と伝えられている。それによると地球は宇宙に浮遊する物体である。その形は「球」ではなく円盤状で、円盤の上に載る海と陸は周囲を大洋の流れで囲まれている。北は北極人が住む氷に閉ざされた国、南にはリビアの暑い砂漠、西にはケルト人、東にはインド人の国がある。このような円盤状の世界の中心には臍(オンファロス)がありそれはデルフォイである。

 世界の中心であるか否かの議論はあったがギリシャ神話によって証明されていた。「ある時ゼウスは円盤状の形を成す世界の両端からそれぞれ1羽の鷹を同時に放した。するとこの2羽の鷹はまさにデルフォイの上空で出会った。そしてその地点は1個の円錐形の石でもって標しづけられた。 注)「世界の臍」の本物は博物館にあり、デルフィ遺跡にある物は簡単なコピー


▲オンファロス(臍)

▲アポロン神殿とファイドリアデスの岩壁 
これを見るとギリシャの信仰の原点は日本と同じ山岳信仰であることが実感する。
垂直にそそり立つ岩壁は約300mにも達している。

▲劇場とアポロン神殿を望む アポロン神殿とファイドリアデスの壁

▲劇場

1.2デルフォイはなぜ世界の中心と言われる聖地になったのだろうか
  アテネの北西約170Kmのパルナッソスの山塊とイテアの港との間にある山塊の傾斜した狭い場所がなぜ世界のへそになったのだろうか。何事につけても合理的な解釈を好むギリシャ人が国家の運命をデルフォイの神託に頼ったり、あのプラトンまでがなぜ神託などを真剣に信じていたのだろうか。蛇足ながら付け加えさせていただければギリシャの聖地はすべてと言っても良いくらい山岳信仰に根ざしていると考える。しかしその後キリスト教の時代になったため、自然崇拝についての伝承が一切消去されてしまいこの種の議論を聞いたことがない。

  ここではデルフォイを例にとって、聖地になる条件の地理的な理由を私なりに考えてみる。
@中央ギリシャの高峰パルナッソスが神秘的な様相を示している(ギリシャにも古代は山岳信仰があった)
Aその山塊は約300mの絶壁があり、その麓にある神殿から仰ぎ見る巌は自然の峻厳さを感じさせるに十分だ。またその絶壁はファイドリアデス(輝くもの)と呼ばれる。カスタリア峡谷によって二つに切り裂かれた西側の壁は昇る朝日を受けるとばら色に輝きローディーニ(バラ色に光るもの)、西側の壁は午後の強い太陽を受けると明るく輝くところからフレンブゴス(燃えるもの)と言われ神秘的な自然条件である。
B神殿の足元にはプライストス渓谷が流れていて蛇行しながらコリントス湾へと流れている。この環境により早朝などには霧が立ち込める(場合によっては紫雲)のではないか。因みにオリュンポス山にはよく紫雲が出るといわれている。
Cパルナッソス山を切り裂くようなカスタリア峡谷から清冽な泉が湧き出ている。これにより身を清める。
Dアポロン神殿の至聖所からは霊気が出ていて、それにより巫女は神懸りになると言われている。しかしここまで揃えばパーフェクトであるが火山地帯でないこの地で、日本の温泉に多くある地獄谷のような硫化物を含む蒸気が噴出するとは考えられない。むしろ上記4っつの条件が整うことで巫女が神懸り、託宣する、と言うことではないだろうか。

1.2太古の神々
  紀元前12世紀以前のミュケーナイ時代の陶器の破片などがアポロン神殿の基台深くから発掘されていて、少なくとも今から3000年以上前から聖地であったと推察される。

1.3アポロン・ピューティオス神 (以下デルフォイの神域 世界の聖域3 講談社を参考にした)
 ドーリア民族は紀元前12世紀からギリシャ全域に南下してミケーナイ文化に取って代わった。既に紀元前800年頃にはデルフォイではアポロンを信仰していた。尚デルフォイは古くは「ピュートー」と呼ばれていたのでこの神はアポロン・ピューティオスと呼ばれていた。この神はあまたある神々の中で紀元前8世紀には世界的な神になっていた。
  紀元前8世紀から始まる大植民時代はデルフォイの託宣なしには決定できなかった。アテナイに民主制を導入した改革、サラミスの海戦の戦略決定などギリシャの国家の運命を決定している。デルフォイの神託は日常的な問題を巧みに解決するのではなく、ギリシャ人の生き方、身の処し方を決定する知的、道徳的基本態度を託宣するのが中心的課題になっていた。日常の私的なエゴイズムに関することではなくて道徳的、数学的、理論的な高尚な問題に解答するように文化的に位置づけられていた。こう考えてみるとやはりギリシャのアテネの神が世界の動向を決定していたことになる。(つまりアテネを中心としたギリシャの隆盛を背景にした文化的要素を抜きにしてデルフォイの神託が価値を帯びない、と思う。中田)
 


▲アテナプロナイアにあるトロス

▲アポロンに捧げる体育祭が行われたスタディオン      


2神託の儀式
2.1神に仕える人々
@神官
名門の市民から選ばれ、12名で、終身職であった。任務は聖域全体の管理、祭壇での供犠の主催。しかし神託には立合わない。
Aプロフェーテス
神託に立合うものと神殿の外で訪問者を案内するものの2名いた。
Bホシオイ
ホシオイは「浄められたもの」を意味し供犠の際には神官を助け聖器、聖獣を扱い、神託の際にはピューティアとともに至聖所まで降りて行き彼女の手伝いをする。なお5名であるがデルフォイの名門の出身で、彼らは神話上の祖先であるデウカリオンの末裔だと言われている。
Cピューティア(ピュートの女)
女司祭者で彼女を通じてのみ神意を知ることが出来た。卑弥呼を持ち出すまでもなく、世界各地での神懸りで神託を述べるのは、みな女性ではなかろうか。女性に限るのは何ゆえか解らないが感覚的に優れているために忘我の境地に神懸りし易いのだろうか。紀元前1世紀の歴史家ディオドロスはピューティアの始まりを次のように述べている。「山羊の番人が発見した神託の霊気を噴く大地の穴は時が経つにつれて危険を及ぼすようになった。すなわち霊気を浴びた人々がその穴に飛び込むようになった。そこで人々はこの危険を避けるために皆を代表して予言する一人の女性を選んだ。はじめは処女を選んだが初々しく神託の秘密を守るのに適しているからだ。しかし客の中によからぬ欲情を掻きたて犯してしまった。このスキャンダル以後は50歳を越えた老女によって神意が告げられるようになった」と言う。
2.2神託の舞台と道具
@至聖所(アデュトン)
神託の儀式は神殿内の特別な場所で行われた。神殿の中でもさらに神聖な場所は「アデュトン(俗人禁制の場)」「クレステリオン(伺いをたてる所)」「マンティオン(予言の場)」などと呼ばれていた。そこは一段と低くしてあり予言の霊気を噴く穴の上に築かれていたと言う。しかし神殿の床を岩盤まで掘り下げた調査をしても、霊気を噴くような穴は見つからなかったとのこと。
A鼎(トリプス)
三本の高い脚に支えられた円形の容器。本来は神にささげる食べ物を入れる容器で中国の殷周時代の青銅器にもある。しかしデルフォイでは巫女のピューティアはこの容器の上に腰掛けて神託を告げた。この奇妙な風習を説明するには諸説あるそうだ。決定的な説明は出来ないにしろ、大地の穴の上に据えられて常に霊気を浴びていたため、それ自体が霊感を持つようになり神託には欠かせない聖具となった。
B月桂樹
至聖所の横には月桂樹の木が生えていたことを文献、陶器画が教えている。これが聖なる木になるのは常緑樹で且つ芳香を放つからである。日本の神道で言えば楠木に相当する。これが神託とどのような関係にあるかは解らないが、巫女が身を清めて月桂樹の葉の上に座ったとか、月桂樹の葉を噛み陶酔状態に導いた、とかである。

2.3託宣
はじめは1年に1日だけ行われていた。しかしデルフォイの名声が高まるにつれ毎月行われるようになった。ピューティア(巫女)は日の昇らないうちにカスタリアの泉で沐浴をすませ、髪を月桂樹の枝で飾り質素な衣服で身を包み、プロフェーテス、ホシオイとともに神殿に入る。内陣で礼拝の儀式を済ませ奥に進み一段と低くなった至聖所に降り、穴の上にある鼎の上に座る。そして神託を求めるものが案内され小さな板に書かれた内容をプロフェーテスを介して口頭でピューティアに伝えられる。鼎の上に座ったピューティアは大地の穴から上る霊気を吸い次第の神がかり、ついには首は前後に振れ、髪は振り乱され、眼は激しく動き、わななく口は泡を吹き、喘ぐ喉から呻吟の声が漏れ響く。プラトンは神から授けられるこの狂気をを最高の認識に到達する唯一の手段と考えていた。「人間が理性に支配されている限り詩を創ることもできなければ神託を告げることもできない」と「パイドロス」の中で言っている。この狂気に誘ったのは「聖なる気配」である。雄大な自然、豪華な聖遺物、神秘的なセレモニー。特に知的な雰囲気は影響していた。聖域入り口にはギリシャの7賢人の格言が刻まれ、ソクラテスも神託を仰ぎ、アリストテレスは弟子たちと滞在していたし、哲学者のプルタコスは30年間も神官をしていた。このような知的な雰囲気での創造的な狂気による言葉なので国家の運命を託されるまでになっていた。

3アポロンの祭り
(ピュートーの競技会と呼ばれオリンピアの競技会とならび称せられた)

デルフィーは太陰暦を採用していたので太陽暦とのズレを是正するために8年ごとに3ヶ月多い15ヶ月からなる「大いなる」年が設けられ、その年にはアポロン讃歌の大音楽祭が催された。その後聖域の隆盛に伴いたい4年ごとに体育祭、馬術競技も加えられた。このときは使者が各都市に使わされ、競技への参加と争いの休戦を呼びかけた。

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