訪問した街と聖堂 ル・ピュイ・アン・ヴレイク:サン・ミッシェル・デギ礼拝堂
特徴 奇跡の地形はケルト、ローマ時代よりの聖地

 サンチャゴへの巡礼路は大まかに四ルートがある。そのうちで最も価値があるルートはこのル・ピュイ・サン・ヴァレイを基点とするルートだそうだ。ここからモアサックまでのルートはまさに野超え山越えで鉄道が有効に使えない。私もこのルート以外はほぼ巡礼したが、ここは最後まで残ってしまった。今回レンタカーでようやく廻ることができた。それにしても昔のままの聖地と美しい山村を堪能することができた。

 外国でレンタカーを借りるにはで出来るだけ「田舎で借りて田舎で返す」ことにしている。しかしフランスはオートマチック車が極端に少なく、結局大都市リヨンで借りることになった。今回はまずはリヨンの駅前のホテルに泊まったが、このホテルのすぐ横にレンタカーがあり、またリヨンからの高速道路の入り口がホテルから500mくらいにあるからだ。ハイウエイに乗ってしまえばもう着いたも同然だ。ル・ピュイはケルト時代以来の聖地とのこと、行ってみて納得できたが街の周囲は阿蘇の外輪山のような壁で囲まれている。その中に3箇所の尖塔形の奇岩があり、それを古代ケルト人やローマ人が信仰の対象としていた。しかし430年以来キリスト教がそこに信仰の対象を重ね、キリスト教の聖地とした。
286段の階段を上ると正面にはイスラム風の衣装が飾られている。これもスペインのサンチャゴへのルートの影響か。目につくのは三つある半円状の彫刻で、中央のものがイエスの象徴で羊が十字架を担いでいる。しかし肝心のティンパヌムには何もないが、これは像を剥離したためか。中に入ると中は意外に広い。薄暗い堂内にはロマネスクの雰囲気が充満している


▲濃密な空気

▲サン・ミッシェル・デギレ礼拝堂 薄暗い礼拝堂は緊張した空気が  張り詰めている 

▲平地に忽然とそそり立つ岩山は奇跡としか言えない。
 石畳の坂道を登っていくと自然に大聖堂に着く。大聖堂の入り口の頭上にあるティンパヌムの破壊のすさまじさにショックを受ける。ル・ピュイのようなカソリック信仰の篤いところにも新教徒との争いの痕がある。私が今まで見た破壊の痕はイエスなどの顔の一部が破壊されているだけであるが、ここの破壊は徹底的だ。エンジェルであろうが偶像は拝むべきではないのだ。回廊に入るとそこは完全に静寂の世界。20歳前後の青年がじっと考え込んでいた。大聖堂の背後に聳える岩山の上に16mの聖母像がある。いわば大船観音のようであるが、1860年のクリミヤ戦争でロシアから奪った200門の大砲を鋳潰して作ったもの。しかし本来この岩の頂にはケルト人のドルメンがあった。その後ローマ人がこのドルメンを破壊し神殿を建てたときの石が今もサン・ジャン礼拝堂に残っていて「熱病の石」と言われている。このようにケルト以来の聖地が後世の無知により破壊されていく。この変な像は別として、この頂からのパノラマは実に気持ちが良く、サン・ミッシェル・デギレ礼拝堂が眼下に見える。

▲ノートルダム・ル・ピュイ大聖堂 外輪山に囲まれた小さな宗教の街

▲大聖堂ファサードの破壊跡   イエス、天使、12使徒を完全に除去 

▲回廊は静寂に包まれている
 
▲サン・ミッシェル・デギレ礼拝堂
                  ▲控えめなステンドグラス
 
▲午後のひと時                         ▲あれっ?
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