訪問した街と聖堂 古代・ローマ時代の文化遺産
特徴 フランスには多くの文化遺産がある
@ポワティエ
 ケルト人はフランス全土にいたがローマ人に征服され、その後キリスト教文化によって征服された。故にその文化的な遺産はほとんど消滅した。しかしその聖地は地下水脈のごとくル・ピュイ、ロカマドール、シャルトルのようにキリスト教の聖地として残っている。日本と同様巨石、巨木、洞窟が聖地であった。

Aカルナック
 一般的には古代人の巨石モニュメントといえばイギリスのソールズベリー近郊のストーンサークルが有名だ。しかしフランスのブルターニュ地方にあるアリニュマンは規模からすると圧倒的だ。またイギリスのストーンサークルは100年ほど前に勝手な復元がなされているのでその起源についての研究もいい加減なものではないか。ここは4000個もの石があり、捏造のしようがない。また飛鳥にある石舞台級の墓が300基もあるそうだ。圧倒的な情念に脱帽。

▲アリニュマン
Bニーム

メゾン・カレ西暦5年にローマが作ったギリシャ風神殿。このように完全な形で残っていたのは教会として利用されていたためか。
ニームという町の由来、泉の精ネマウスス(nemausus)からきている。ローマ時代に泉を中心にしてできた町だ。

古代闘技場  紀元1世紀に建設され、133×101mで21,000人収容された。ローマ人の駐屯した町にはこのような大規模な娯楽施設を必ず作った。しかし、現在このように観客席の大理石がそのまま残っているのは非常に珍しい。中世教会建築はローマ時代の建築物を採石場代わりとた

▲メゾンカレ

▲アリーナ
Cアルル
競技場
:建設は75年ころ。直径は最長136m。しかし中世にはここが要塞化され、トラック内には200件の家が建ち、礼拝堂も二つあったそうだ。しかし外側はほぼ残っているものの観客席などの大理石はほとんど教会などの建材として剥ぎ取られている。また現在は2段のアーチであるが元は3段だそうだ。中世に作られた物見の塔より競技場全体を望んだり、悠々と流れているローヌ川とその街を楽しもう。

▲アルルの町並み、背後はローヌ川

▲ローマ時代の競技場
Dポン・デュガール
この堂々とした建築物は見るものを圧倒する。ルソーの『告白』を引用すると『私たちは、この広大な建物の中に一匹の昆虫のように自己を見失った。わが身の小ささと同時に、何かしら魂を高めるものを感じ、ため息とともにつぶやいた………』とある。 

 建設は紀元前18年オクタヴィアヌスがエジプトとの戦いに功績のあった武将のために作らせタ。ニームの町を作るに当たって50Km先の水源から、それこそ野越え山越え水を引いた。なんと雄大な都市設計だ。花崗岩の石は1個約6t、それが何の接着剤もなしに均衡を保っている。3段になっていて1段目には今でも自動車が走っている。規模は高さ49m、長さは3段目が275m幅は3段目が3m


Eリヨン
 
▲ローマ時代のものを現代改造       ▲ローマ時代の遺跡のまま
Fオータン

▲オータンの闘技場
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