クルニー第三修道院 クルニー派の原点
  910年アキテーヌ公ギレルムスによって創設されたクリュニー修道院は、瞬く間にその勢力を拡大し12世紀には1450もの修道院が建設された。1088年から修道院長ユーグによって再建された第三修道院は実に巨大なプランに従っていた。全体プランは、二つの袖廊を持つ大司教十字架形の五廊式バシリカ形式である。長さはナルテックスを入れると181m横幅28m(身廊幅12m)、半円筒形窮窿の高さは30mもある。東端には五つの放射状祭室と五基の鐘楼が建っていた。しかしかつての改革に萌えていたクリュニー葉のあまりにも寄進が多く寄せられた為、形式的になり堕落の道を歩んだ。14世紀待つには宗教的求心力は失われ、16世紀の宗教戦争では破壊が進み、貴重な写本などは略奪された。1970年のフランス革命で閉鎖され、民間に売却され、採石場と化した。現在は南袖廊の「恵みの水の鐘搭」とかつて身廊を飾っていた柱頭が敷地内の美術館に陳列されている。
  しかし、ロマネスク様式の教会や彫刻についての原点になるので是非訪れたい場所だ。

参考)
シト―派の考え方

▲かつての内陣から南袖廊の「恵みの水の鐘搭」を眺める

▲かすかに残る身廊の柱底

▲南袖廊の「恵みの水の鐘搭」

▲南袖廊の天井
 
▲南袖廊の「恵みの水の鐘搭」外側の柱頭

▲Jean de Bourbon chapel(ガイドNo14)のみがほぼ完全な形で残っている

▲上記Chapelの壁には、かつて聖人像があったであろう彫刻がある

▲像と天井
 
▲彫像

▲オシエ美術館(クルリュニー修道院旧在の内陣柱頭)

▲簡素な花模様
 
▲音楽より第三音 プサルテリュムを弾く男     ▲天国の四つの川